プラスチックで思いをカタチにする会社 株式会社テクノラボ

変化の速い時代だから、逆に古典が新しい

変化の速い時代だから、逆に古典が新しい

4月になって、街の角々に新入社員らしき若者が集まっているのを見かけるようになりました。

我が社にも新入社員が入って来て、若かった頃の自分を振り返ってみました。

ふと気づいてしまったのですが、残念なことに自分はそれほど進化できていない気がする!

20代の頃から働いて来て、確かに「知識」は増えました。今の仕事はプラスチックの製造技術が基本となりますし、会計、財務、法律、組織論やネットワークなど、経営者としては増やさざるを得なかった知識もあります。でも今は知識がすぐに劣化する時代です。

ネットに知識が溢れているので個人的に蓄積したものは大して評価できませんし、進化したとは言い難い。結局30年近くかけて積み上げた知識は余り役に立たないようです(泣)。

その中で多少なりとも進化したのは、自分の「考え方」かも知れません。

分からないことに気がついて、自分で調べて、実施してみて、失敗して。この繰り返しの中で背後にある体系的な知識に興味が湧いて、改めて勉強する。

体系的な思想って、最初はどうしてそういう考え方をするのか分からないけれど、我慢して学んでゆくと徐々にその意義がわかってくる。

そうやって手に入れた「考え方」というツールは、膨大な知識がどこにでも溢れている時代だからこそ、知識を解釈をするツールとして本当に便利なものだと思っています。

1.変わることの大切さ

最近(特にリーマンショック以降)、大きな時代の変化が来ているように感じます。

技術も世界情勢も変わってゆく中で、世界自体の仕組みが大きく変わり始めていると思います。日本も変わらなくてはならない状況になっていて、2000年頃のインターネットによる社会構造変化と、同等以上の変革の波が来ているのではないでしょうか。

2000年頃は私もまだ年齢も感性も若くて、当り前に変わることが出来たので気づきませんでした。でも最近は自分がついていけてないことを感じます。IoTやAIの普及で、変化の速度は上がっているのに、凄くヤバイなと思っています。

そんな私と同じように、社会の変動に日本自体がついて行けないようです。社会全体の平均年齢が上がって老化すると、変化は難しくなるのでしょう。

世界の潮流を無視し、安全・安心やコンプライアンスという正論を振りかざして同じ所に留まろうとする今の日本社会。全ての新しいことからから背を向けている日本社会は醜いですが、その批判はそのまま自分への批判ともなり得るんだな、と常に反省しています。

私は「社会人=社会の役に立つ人」という定義を大切にしています。

でも社会が変わってゆくと、役に立つ仕事も変わります。すると自分が変われない、ということは社会の役に立たない人になってしまうということになります。怖いです。

その点、若い子達は意識することなく変わることが出来る。羨ましいです。

こうなったら「変わる」という点では若い子には敵わないので、しっかり教えを請うて助けて貰うしかないな、と開き直ると共に若い人に期待をしています。

2.考え方を教えてくれる、古典の大切さ

教えて貰うばかりだと見捨てられてしまうので、オジさん世代にも何か役に立つことがないか考えてみました。私のように変化から遅れがちな世代も、これまで変化の波をくぐって来て、学習できたことがあります。それが「古典」の大切さです。

「古典」とは、今でも大切に残されている昔のモノのことです。社会が幾つもの変化を繰り返した中で、それでも必要だとされる考え方が体現されているモノのことですね。

時代によって考え方、価値観は揺らぎますが、長い時間が経っても変わらずに認められ続けたものが「古典」ですから、そこには変わらない人間の本質が集約されているのだと思います。

時代の先端に合わせて変化しながら、より新しいものを創り上げる仕事は、年を取るほど難しくなるでしょう。しかしたくさんの変化の中で、最終的に残るものを嗅ぎ分けてそれをすくい上げてゆくことが出来れば、最終的な成果物で引けを取ることはありません。むしろ先端的な若い世代と、要領の良い中年世代とが協力することで、より高い成果が出るように思います。

そのためには、中年世代は古典を良く勉強した上で、次の世代に残るべき仕事はなにかを常に考えることが重要だと感じています。

いまは膨大な知識が溢れているので、逆に知識の解釈をすることが価値となる時代だと感じます。

古典を通して、「考え方」を使う価値は高まっていると思いますが、どうでしょうか。

時間が経っても人を惹きつけるもの、その背後にあるものを知ることが、古典の魅力なのだと思います。

まぁ、年寄りの虚勢もあるかも知れないですけどね(笑)。

でも変化の速い時代だからこそ、揺らがない目印としての古典は大切なのだな、と感じています。