プラスチックで思いをカタチにする会社 株式会社テクノラボ

選挙と宣伝

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来週、私が住んでいる街で任期満了に伴う市議会議員選挙が行われます。そこで、私の街ってどの位予算があるのかな?と考えました。

都心から1時間の人口6万人に満たない小さな街ですが、なんと一般会計だけで180億円、社会保険等の特別会計も含めると340億円近くの予算でした。赤ん坊も含めた市民一人当たりで割ると、60万円位ある訳でちょっと驚きました。

せっかくの休みに、大きな声で候補者の名前を叫ぶ選挙カーが街中廻っているのは心が休まらないですが、とても大きなことを決める自分たちの代表者を選ぶ選挙なのだから仕方ないですね。

私はこの街の出身ではありませんが、もう10年以上住んでいるので、貼り出された候補者の名前や略歴には多少なじみが出てきました。 でも正直に言うとどの候補者に政権を任せていいのか分からないのです。

私自身が政治家について知りたい事は、計画と実行がちゃんと出来る人かどうか。だから「計画力」=政策と、「実行力」=人柄・政治手法・実行グループがどうなっているのかなぁ、ということが知りたいです。

民主党政権を見て、耳障りのよい「計画」を掲げても実行して貰わないと困るな、としみじみ感じました。だから妙に政策の主張をする候補者には、ちょっと警戒してしまいます。

でも「実行力」は、その判断が難しいですね。

候補者の政治手法が効果的か否かは、議会に出てその人をつぶさに見ていないと分からない気がします。

実行するグループも難しい。どのグループの実績があるのかが分かりませんし、そもそも私は市議会にどんなグループがあるのかすら、ちゃんと分かっていなかったりします。

実際問題として、多くの人が手っ取り早く人柄だけで選んでいるのではないか、と思いますがどうでしょう?(「この人は良い人そうだから、裏切らなそう」とかね)

さて、我に還ってこれって凄いことだよなー、と驚愕しました。一人年間60万円、我が家に関しては60×4人=240万円にかかるの意思決定ですよね。大きな意思決定なのに、自分たちが分からないというだけで私達は簡単に思考放棄してしまいます。怖いことですね。

自分たちの会社:テクノラボについても考えさせられました。テクノラボはデジタル世界の中で作り続けられているテクノロジーと、それを使う私達を「カタチ」というインターフェースでつないで行く仕事をしています。

これからの社会にとって凄く大事だし、可能性が大きい仕事だと、私自身は思っています。

良い「計画」だし、その「実行手法」にも自信がありますが、ただちょっと他人から分かりにくいのです。

そして分かりにくいというのが大きな問題で、本当に顧客となる人達から思考放棄されてしまう怖さを秘めている。

身がすくみました。

選挙の話に戻りますが、おそらく凄く地域のためを思って頑張っていた政治家もこれまでたくさん居たと思います。

そういう政治家の中には、すごく高い能力を持っていながら落選してしまった人もいたでしょう(出来ない計画を掲げないで地道に頑張ったけれど、正直すぎて派手さに欠けて分かりにくいタイプとか)。

逆に全く仕事をしない政治家でも、連続当選を果たしている人も、もしかしたら混じっていたかも知れません。

でもトータルで見ると、日本の政治家は比較的質が高かったように思います。 北朝鮮やシリア・ルワンダ等の悲惨な国と比べると、やっぱり日本はかなり良い国でしょう。 特に資源に恵まれている訳でもないので、国の良否に政治が全く影響力がないというのは非現実的ですし、政治家の貢献も一定以上認めざるを得ませんから。

ということはこれまでの選挙手法も一定の有効性があったと言う訳ですね。

そして従来の日本の政治家は、「人柄」中心で選ばれて来たように思います(選挙で「政策」が語られることは、民主党以前はそれほどありませんでしたし、「政治手腕」も「実行グループ/派閥や政党」の違いも良く知られていなかったと思いますので)。

私は出来るだけキレイな理屈で説明したい性格です。 余り美しくない理屈は認めたくないのですが、これまでの「人柄」中心の選挙制度も案外判断基準としては有効だったりするのでしょうか???

自社に照りかえして考えてみると、テクノラボはこれまで「可能性ある未来を提案する(計画)」とか、「実際に良いものを、実力ある仲間と作る(実行)」ことに力を注いで来ました。

でも社会から選ばれて(選挙に勝ち残って)これから企業として生き残っていくためには、それ以上に企業としての「人柄」を磨かなくてはいけないってことなのでしょうか。

今週は色々考えさせられる週末でした。